東横線-副都心線直通運転開始 2013.03.24
ヒカリエからのぞむ東横線渋谷駅

2013年3月16日、東急東横線と東京メトロ副都心線の相互乗り入れ直通運転が開始された。

東横電鉄時代の昭和2年(1927)に開業した渋谷駅は、現在まで同じ場所で85年間の歴史を刻んできたが、ついに終焉のときを迎えた。子供のときから今日までずっと慣れ親しんできた駅だけにまことにさびしい限りだ。
そして、代官山駅から続く台地を外れたところで、いきなり小さなトラス橋で山手線をオーバークロスして大きくカーブし、山手線と平行して渋谷駅に向かうあの高架線にも、もう電車は来ない。いまは代官山の先で坂を下って地下線にはいり、明治通りの下を北上して新駅に向かう。新しい渋谷駅は2008年6月14日に副都心線開業とともにすでに暫定開業しており、東横線の乗り入れで全面開業となった。新駅はこれまでの駅の東側の明治通り地下5階にある。

渋谷地上駅から地下駅へ
この直通運転でもっとも大きなトピックは新しい渋谷駅の構造である。安藤忠雄氏設計の近未来風の駅構造もそうだが、それよりも鉄道好きの関心の的はプラットホームの構造なのだ。ホームは2面4線だが直通運転のために当然ながら行き止まり(ターミナル)ではなく通過形式である。つまり中間駅と同じで、これにより本来の行き止まりのターミナル駅としての存在は失われてしまった。東急ファンにはこれがいちばん堪えるのだ。本拠地がなくなって根無し草になったも同然だからだ。とくに東横線渋谷駅は東急のシンボルだった。東急電鉄の本線とみなされる東横線の起点駅として、頭端式4面4線のホームは東急の中では一番規模が大きく立派に見えた。

この頭端式ホームというのは、いわゆる終着駅スタイルのホーム形式で、線路は行き止まりになっており、バツ印の車止め標識が立っている。終着駅ということばなんとなく人を引きつけるものらしい。ひとことでは言い表せないが、「長く続く線路もここで終わりだ」という感情で、日本最北端など、「最果ての場所」に立って、しみじみと「ここで終わりなんだ」という特別な感慨にふけるのと同じなのだろう。

とにかく行き止まりの駅というものは中間駅にはない独特の風情が感じられるのだ。「最果ての駅」にたどりついて、ゆっくりホームにはいってきた列車(行き止まりのため必ず減速する)は運んできた乗客を降ろし、折り返しの発車までの間、新しいお客さんを待ちながらしばしの休息をとる。終着駅は出発駅でもある。列車がホームでのんびり待っているということ自体がいいのだ。乗り込んだお客さんも思い思いの席に座り、発車をのんびり待つ。そこにはゆったりとしたときが流れる。やがて発車時刻が来ておもむろに列車は出てゆく。最終列車まで一日中繰り返される終着駅のこの光景は、都会の大規模ターミナルでも、ローカル線の小さなターミナルでも同じだ。渋谷駅もそうだった。おそらく開業以来85年間ずっとそうだったのだろう。それが消えてしまうのは本当に惜しい。

東急がこうした伝統的なターミナル構造の駅を捨てて通過式の駅にしたのは渋谷駅だけではなく、目黒駅も同じだ。直通相手の地下鉄が相互乗り入れを前提でそのターミナル駅を目指して建設されたからである。東急側はそのために駅の改造や新設で対応した結果、通過式の駅構造となったのである。横浜駅の場合はもともと中間駅だったが、みなとみらい線との直通に応じて地下化したものだ。田園都市線渋谷駅は新規に造られた駅で、当初から半蔵門線との直通運転に対応した。これら4駅はいずれも直通相手と列車の運行を一体的に行っていたり、共同使用駅という位置づけで、もはやターミナル駅というイメージではないが、横浜駅を除く3駅では乗務員の交代が行われているので、両社にとって一応ターミナル駅のようには見える。これら4駅すべては東急管轄で、東急側とすればターミナル駅としての体裁は保っているのだろう。

他社線の直通事情を見ると、すべてが中間駅での接続で、ターミナル駅は温存されている。たとえば、副都心線との直通では、西武は池袋線の練馬駅から西武有楽町線を分岐させて小竹向原駅で接続し、東武東上線は遠く離れた和光市駅で接続している。両線とも池袋駅はターミナル駅として存在する。また、京王線は都営新宿線との直通のために支線をつくり、本線の新宿ターミナル駅とは別の新宿駅をつくって都営新宿線と接続している。小田急も代々木上原駅での接続といった按配である。東横線も同じように中間駅である中目黒駅で日比谷線に直通していたが、今回の副都心線との直通で終了となった。日比谷線との直通は1964年に開始されたが、車輛のサイズなどが現状に合わなくなっているほか、副都心線直通に加え、さらに中間駅からの乗り入れは列車運行上複雑になるなどの理由で、副都心線一本に絞ったものと思われる。

もっとも、副都心線の池袋-渋谷間着工当時(2001年)にはまだ東横線との直通は考えられておらず、翌年に東横線を地下化して相互直通することが決定したという。東京メトロでは、渋谷駅は副都心線の終点として当初1面2線ホームの予定だったが、それを直通対応のために2面4線に変更し、列車退避や折り返しができるようにした経緯がある。もし、副都心線の計画がなかったら東横線の渋谷駅はどうなっていただろう。地上駅のまま存続しただろうか。それとも渋谷再開発の一環として地下に頭端式ホームができてターミナル駅として生まれ変わっただろうか。東急は悩んでいたに違いない。しかし幸運なことに東急はまたとないチャンスを掴んだのである。もはや終着駅などとセンチメンタリズムに浸っている場合ではない。あっさりと地下駅での直通に決めた。これにより、渋谷再開発も一気に進められることになる。東京メトロとしても終端駅が開いたままになっているのは望ましいことではなく、いずれどこかと直通をする必要があったはずだ。したがって両社の利害が一致した結果なのだろう。その代り、渋谷駅は東急主導のもとに設計建設され、東急管轄となった。

ちなみに、東京メトロでは、銀座線と丸ノ内線を除く7線すべてで相互乗り入れをしているが、それらの接続駅で東京メトロが管轄しているのは、南北線赤羽岩淵駅(埼玉高速鉄道線)、半蔵門線押上駅(東武スカイツリー線)、千代田線綾瀬駅(JR常磐緩行線)、東西線西船橋駅(東葉高速鉄道線)の4駅である。田園都市線・半蔵門線渋谷駅も当初は東京メトロ管轄だったが、新しい東横線渋谷駅との一体管理を望む東急に移管したという。

余談だが、立派なターミナル駅をもつ鉄道は大阪の私鉄に多い。阪急梅田駅の10面9線や南海難波駅の9面8線、近鉄上本町駅の9面8線などの巨大なターミナル駅は鉄道会社のステータスでもある。東京の私鉄では小田急新宿駅の2層6面9線や西武池袋駅の4面7線などが大きいターミナルだが、ステータスというほどのものではない。因みに東横線旧渋谷駅は4面4線だったが、いま東急でそれらしいターミナルの姿があるのは、蒲田駅である。電車は3両編成と短いものの、池上線と東急多摩川線が乗り入れる5面4線のホームは立派なものだ。

渋谷駅が通過式になったことを嘆いてはいるが、それでも4線ホームにしたことで、渋谷駅折り返しの電車が設定されているのがせめてもの救いだ。これでわずかにターミナル駅としての面目を保つと同時に、利用者には渋谷始発で座って帰れるチャンスを残したということだろう。副都心線側の渋谷発着列車は朝方の2本を除いてはなく、すべてが直通列車である。

一段落した大規模鉄道事業と引き続き始まる渋谷再開発事業
今回の副都心線との直通という一大事業のために、東急はほかの路線に優先して東横線に力を注いだ。それは、直通用の5050系4000番台という10両編成車両を9編成90両も新製したり、副都心線直通で西武線や東武線ともつながることを積極的にPRしていることでもわかる。
ところが、10年前の2003年3月に田園都市線が半蔵門線以遠の東武鉄道と直通したときはなにもPRしなかった。ほとんど無視状態だったといわれる。5000系という新製車両はあったが、むしろ古参の8500系を大量に直通車として送り込んだ。田園都市沿線の利用者も、何も知らされていないところへある日突然見慣れない東武の電車がやってきて驚愕したという。

この違いはなんなのか。
第一に今回は東急のフラグシップ的存在である東横線だからだ。東京と横浜を結ぶということもあって横浜も大事にしている。だから2004年1月には桜木町までの線路を廃線にしてまで、みなとみらい線との直通に力を入れて大々的にPRした。東急にとって東横線は戦略的な路線なのである。
第二は今後進められる渋谷の再開発において、主導的な立場を確保する狙いがあるからだ。渋谷は何と言っても東急の牙城である。再開発には東急だけでなく地元の渋谷区やJR東日本、東京メトロなどが絡んでくる。東急はまず、東急文化会館の跡地にヒカリエというランドマーク的な施設を建てた。まずは布石を打ったのである。これはとくに渋谷駅が通過駅となることへの対策でもある。

一方、副都心線を経由してつながる、東武鉄道と西武鉄道はこの直通運転開始について、それほどの力を入れていないように見える。それでも西武は東京メトロ線以遠への初めての直通だけに、横浜までの最速列車の設定など期待感をもったPRをしている。東武鉄道はそのような設定はなく、東横・副都心線内で優等列車として乗り入れてくる列車も各駅停車で扱うという。もともと地下鉄直通は東上線内では各駅停車らしいのだが、そのためかとくに直通についての特別なPRもしていない。東武はスカイツリーが大当たりで、スカイツリー駅やスカイツリー線まで登場させている折から、東上線の直通などはあまりメリットがないのかもしれない。もっとも、地元の川越市などは期待を寄せているそうだ。


今回の直通運転開始で、東急電鉄としての一連の鉄道プロジェクトは一段落した。あとは相鉄線との相互乗り入れがあるが、それはまだ先のことであり日吉駅から目黒線を延長するかたちで、新線を建設することになるので今回ほどの大工事にはならないだろう。

今後はむしろ渋谷駅や東急デパートの一部の取り壊しに始まる、再開発事業のほうに力をいれるのだろう。2027年までには渋谷の町は大変貌を遂げるようだ。これから15年の間、また渋谷の町は大工事のまっただなかになる。もっとも、完成したときに立ち会えるかどうかわからないのだが。。。


相互直通運転開始一週間前まで
直通運転開始前日
直通運転開始当日
西武電車がやってきた
東京メトロ副都心線
・鉄道総合ページ:鉄道少年のなれの果て