第六巡  平成16年10月14日
第十九番 医王山東圓寺(いおうさんとうえんじ)
経路 奥沢(目黒線)→目黒(山手線)→
新宿(丸の内線)→中野富士見町
中野富士見町駅を出ると、本郷通りという道路が走っている(文京区の本郷通りとは無関係)。この道を西に進む。この辺は立正佼成会発祥の地とのことで、やたらと関連の施設が建っている。東圓寺は通りから引っ込んだ静かな住宅地のなかにある。隣には立法寺という日蓮宗の大きなお寺がある。東圓寺本堂は工事中だったが、観音堂で本尊「聖観世音菩薩」にお参りする。観音堂の扉はちょっとしか開かず、そこから覗き込む感じだったが、賽銭箱はしっかり置いてある。しかし、境内はよく整備されていて明るくて気持ちのいいお寺ではあった。

第十七番 如意輪山宝福寺(にょいりんざんほうふくじ)
経路 徒歩
さきほどの本郷通りにもどって反対側の住宅街を南下する。神田川にぶつかるので川に沿って歩く。対岸には東京地下鉄の中野車庫がある。方南通りに出る。ここには旧日本ラヂエーター社(今の「カルソニックカンセイ」社)があって、大学時代に工場実習で1ヶ月ほど通ったことがある。また、社会人になってからは取引先としてよくお邪魔した縁のあるところである。
方南通りを横断してさらに南下すると目指す宝福寺がある。うっそうとした木立があって東圓寺とは雰囲気が違う。本尊は「如意輪観音」だが観音堂は扉が閉まっていて外からお参り。ここで、同じ観音巡りをしている女性の2人連れと出会い、情報交換する。このような人と遭遇したのは初めてである。お寺を出て方南町駅に向かう。

第三十二番 世田谷山観音寺(せたがやさんかんのんじ)
経路 方南町(丸の内線)→新宿(山手線)→渋谷(東急バス)
→学芸大学付属高校前
一番足場の悪いお寺。渋谷からバスに乗らなければならない。バスをおりて明薬通りという道をしばらくゆくと桜の木が生い茂る観音寺がある。このお寺は宗派に属するのではなく、祈願寺という立場のお寺である。したがって、それこそいろんな仏さまを祀っている。
本尊は「聖観世音菩薩」で、札所本尊となっている。ご住職が話し好きで本堂で30分くらい話し込んでしまった。おかげで観音さまの写真を撮らせてもらうことができた。聖観音の脇侍(わきじ;本尊の左右に置かれる仏像)として、南北朝時代に造られたという日光、月光(がっこう)両菩薩、さらにその横には、布袋尊とマリア観音が置かれていた。ここには特攻平和観音という旧特攻隊戦没者を慰霊する観音像がある。このようなものがあるとは、ちょっとびっくりした。
ほかには、阿弥陀堂不動堂、夢違え観音、文殊菩薩などが境内にあって、お堂の中には文化財的価値のあるものが多く安置されているとのこと。いずれにしても、ご住職の言うとおり「なんでもあり」のお寺だった。

第三十三番 目黒不動尊別当 泰叡山瀧泉寺
(めぐろふどうそんべっとう たいえいざんりゅうせんじ)
経路 世田谷観音前(東急バス)→大鳥神社前
いよいよ最後のお寺である。世田谷観音を出ると運良く目黒行きのバスが来たので乗る。途中の大鳥神社前で降りて歩く。瀧泉寺は目黒不動の名で知られており、関東最古の不動霊場で、江戸五色不動のひとつでもある。札所本尊は「聖観世音菩薩」で観音堂に祀られている。ここも扉が少し開いているだけで隙間を通してのお参りとなる。目黒不動尊は石段を上った高台にある。ほかにも広い境内には阿弥陀堂地蔵堂、子育て地蔵、勢至(せいし)菩薩を祀る勢至堂、独鈷(とっこ)の滝と呼ばれる霊泉などに加え、青木昆陽の墓と甘藷の碑や、童謡作曲家の本居長世の碑などがあって盛りだくさんである。
そして、いよいよ結願成就のご朱印をいただいた。感激の一瞬である。


8月12日、炎暑の浅草から始まって以来2ヶ月、6巡目でめでたく結願となった。地図と水のボトルを持って広い東京のまちを歩き回ったが、まだ古い東京は健在である。どのお寺でも親切に対応してもらい、全体を通して計画通り順調に行けたというのは観音さまのご加護があったのかもしれない。東京のまちを歩くのは楽しいし、ふるさと東京の再発見もできる。東京にはこの34のお寺以外にも訪ねてみたいお寺がたくさんある。
機会をみて、また別の霊場巡りにチャレンジしようと思う。