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さらば日比直!日比谷線直通運転の終焉   2013.01.31
 2013年3月16日、東京メトロ副都心線と東急東横線が相互直通運転を開始する。それに伴って日比谷線と東横線の直通運転が前日の3月15日をもって廃止になる。およそ半世紀を走り続けた直通電車はなくなり、日比谷線はすべての列車が中目黒駅折返しとなり、東横線の上り電車はすべて新しい渋谷駅に直行することになる。日比谷線は学生時代からよく利 用し、社会人になってからも、会社が霞が関地区にあったこともあって、通勤などなにかと身近な存在だった。
とくに10年前に他界した亡妻にとっては、最後までお世話になった電車である。ふたりの子供を広尾にあるA病院で出産し、その後に発病した癌の手術を同じ広尾の都立病院で受けた。予後の治療を続けるために築地にあるS病院に通い、発症後およそ18年ののちに同病院で最期を迎えたが、その間ずっと東横線から日比谷線に乗って通院していた。そんな縁もあって日比谷線には特別な思いがある。
このたびの直通終焉に際し、思いつくままに綴ってみたいと思う。

 中目黒駅付近の変貌
 日比谷線は1964年8月29日に全線開業し、同時に東横線との相互乗り入れが始まった。それから約1か月半後の10月10日に東京オリンピックが開幕した。 この年は東海道新幹線が開業し、首都高速道路などもオリンピックに合わせて一斉に開通した。東京の町並みが大きく変わる最初の時代が始まったのだ。

日比谷線の工事はちょうど都内のあちこちで行われていたオリンピックがらみの諸工事と重なっていた。中目黒駅付近の工事が始まってからは、どのように地下鉄が東横線にやって来るのだろうと興味津々で、電車で現場を通るたびに目を凝らして眺めていたが、駒沢通りが東横線が代官山トンネル付近で接近する地点(鑓ヶ崎交差点手前あたり)で合流するらしいことがわかってきた。だいたい地下鉄は道路の下を走っていることが多いので、道路と鉄道が接近している場所で合流すればいいのだ。恵比寿駅から駒沢通りの下を通ってきた日比谷線の線路は、代官山トンネルの手前で姿を現し、東横線上下線の間に割り込んで坂を上り、そのまま4線並行して中目黒駅に進む。それまでの複線の線路は周りの崖などが削られて複々線となり、風景が一変した。中目黒駅も当然ながら大変貌を遂げた。昔の相対式ホームから山手通りをまたいで2面4線のホームに大幅に拡張され、さらに祐天寺寄りには3線の引き上げ線が設けられた。4線あるホームのうち内側2線は日比谷線、外側2線は東横線の方向別ホームとして乗り換えの利便性が図られた。

もともと東横線の中目黒駅は高架上の対向2面ホームでホームの幅は非常に狭く、急行電車も停まらない寂れた駅だった。急行に乗ると学芸大学の次が終点渋谷だった。ひとつ手前の祐天寺駅は今は高架駅だが、それまでは地上駅だった。その先は目黒川の谷に向かって急な下り坂が中目黒駅まで延々と続いている。渋谷行きの急行電車はその坂をかなりのスピードで下ってくるが、中目黒駅を通過して目黒川を渡ったあたりで左に急なカーブを切って代官山トンネルに向かう線形となっていた。そのため電車は大きく揺れてたいへんだったのを覚えている。渋谷からの下り線も同じで、その急カーブでは大きく揺れた。その急カーブも日比谷線乗り入れ工事によってなくなった。

その後、都立大学駅と祐天寺駅の間は連続高架線となり、中目黒駅までの坂はさらに急になって25‰になった。そのために、その坂を登らなければならない横浜方面行きの電車にとって、雨や雪のときにはスリップ(空転)多発の難所となった。とくに8000系電車の空転が多かったように思う。なにしろ中目黒駅発車直後から始まる長くて急な上り坂を、スリップしないようにだましだまし加速する運転士は苦労したことだろう。新型車両になって改善されたように思える今でもスリップを感じることがある。一方、渋谷方面も下り坂でスピードが上がりすぎるうえに、中目黒駅直前にある引き上げ線の外側を回り込むためにS字カーブとなっているので左右に傾き揺れる。ぎゅうづめの満員電車に乗っているといまでもちょっと怖いくらいだ。雨や雪のときは滑走しないようにブレーキコントロールが必要になる。いずれにしてもこの区間は東横線で一番の運転士泣かせの難所だろう。

 ■直通運転廃止の理由とは?
 相互乗り入れにあたって、東急、営団、東武の乗り入れ3社はそれぞれ乗り入れ専用の車両を新造した。18m級3扉車体の東急7000系、営団3000系および東武2000系である。東急7000系と営団3000系はともにステンレス車で、東武2000系は鋼製車両だった。のちに各社とも2代目の車両に更新し、東急1000系と東武20000系はステンレス車体、営団(東京メトロ)03系はアルミ車体となって現在に至っている。しかし扉数は3扉が基本だが、03系と20000系の一部の編成では5扉車を組み込んでいるなど統一がとれていない。

乗り入れ開始当時の私鉄では18m級が主流だったが、東武では20m車体が登場しており、今後の主流とすべく日比谷線乗り入れにあたっても20m車体を提案したが、営団側は用地買収の見地から急カーブの多いルートとなったために車体長の短い18m車両採用を主張し、結果として18m車体となったというのがいきさつである。
現在は3社とも20m車体が標準となっており、東急・東武線内では日比谷線用の18m車が混在して走っている状態である。東武線は北千住以遠が北越谷までは複々線のため、日比谷線の列車はいわば専用の線路を走れるが、東急線内ではまったく混在しているため、車体長や扉数の違いによる乗車位置の不統一などが生じている。深刻な問題ではないものの、ラッシュ時のホーム混雑に拍車をかけていることは間違いない。東急にとってはいまや東横線の18m級車両はお荷物となっていて、直通廃止によって1000系の後継新型車両の開発をしなくて済むことも大きなメリットだったのでは、と勘ぐることもできる。東横線では今後、規格が同じ車体に統一されることでホームドアの設置なども促進されるだろう。

あくまでも私見だが、今回の直通廃止は車体長や扉数の問題も一因だろうが、一方で列車運行上の理由が大きいとみられる。日比谷線の東横線乗り入れは末端駅ではなく途中駅での接続のため、ダイヤ上では本線の列車の間に途中から割り込ませることになり、ダイヤ編成は複雑となる。相互直通運転では路線が長距離化するので、事故や故障が発生すると他社線への影響は大きい。今回の副都心線との直通では渋谷駅接続となり、東急・東京メトロ・東武・西武の一体的な運用が行われるはずだ。したがって、途中駅からの合流は極力避けたいところだ。直通廃止の理由はこのあたりだと思う。直通はしなくても中目黒駅は方向別のホームなので乗り換えは至極便利だ。それに電車は頻繁にやってくる。これまで菊名あたりから直通電車で座ったまま通勤・通学していた人には不便になるだろうが、そこはぜひ我慢をしていただくほかないだろう。

 ■日比谷線電車はノロい? 
 地下鉄の多くは道路の下を掘り進んで建設されているが、直角に交差するような道路下で曲がるときにはどうしても急カーブとなる。カーブを緩やかにするには民有地などの道路地外を通らなければならないが用地確保はきわめて難しい。日比谷線の場合は、このような地点の多いルートのため、急カーブが非常に多い。とりわけ、中目黒-神谷町間は多くの道路の下を渡り歩くルートで、そのたびに急カーブが現れて減速を余儀なくされる。神谷町駅を出て霞が関駅までの桜田通り下の直線区間では少しまともな速度で走るのだが、霞ヶ関駅を出て、その先の晴海通りに突き当たる地点でほぼ直角のカーブのためすぐにノロノロになってしまう。さらに東銀座駅を出ると新大橋通りにはいるために、また直角のカーブがある。中目黒-築地間ではこのように急カーブが多いうえに駅間距離が短いこともあってたしかにノロいという印象は否めない。

おおまかなルートは以下のとおり。( )は道路名
中目黒-(駒沢通り)-恵比寿-(明治通り)-広尾-(外苑西通り)-(六本木通り)-六本木-(外苑東通り)-(桜田通り)-神谷町-霞が関-(晴海通り)-日比谷-銀座-東銀座-(新大橋通り)-築地-八丁堀-茅場町-人形町-(人形町通り)-小伝馬町-秋葉原-(昭和通り)-仲御徒町-上野-入谷-三ノ輪-(専用高架線路)-南千住-北千住
 
 ■日比谷線にまつわる事故
 日比谷線においては記憶に残る大きな事故・事件がいくつかある。どういうわけか、東京メトロのほかの線よりも突出して多い。
・1968年 神谷町駅での車両火災
・1972年 広尾駅での車両火災
・1992年 中目黒駅引上線での衝突事故
・1995年 地下鉄サリン事件。鉄道そのものに無関係な前例のない無差別テロに巻き込まれた。
・2000年 中目黒駅手前での列車衝突事故。営団・メトロを通じて乗客の死者を出した唯一の事故。
   
  
 ■直通電車の今昔
乗り入れ当初に直通運転で使われた車両は東急7000系と営団3000系であった。1988年から両社とも2代目の電車を投入し始めた。それが現在の東急1000系と東京メトロ03系である。
直通電車は当初日吉駅までの乗り入れだったが、日吉駅の改良にともなって折り返しができなくなったため、菊名駅まで延長した。改良工事後は日中の直通は日吉に戻ったが、目黒線の日吉延伸のため再び菊名までの終日運転となっている。
直通運転は原則として車両だけが直通し、乗務員は接続駅において相手方に引き継がれる。一方、車両の走行距離を平準化するために、相手方の線路内だけを往復するような運用が発生する。
直通廃止によってメトロ03系は東横線から、東急1000系は東横線・日比谷線から営業運転の姿を消す。03系は鷺沼にある東京メトロの検車区に出入りするために、今後も東横線-目黒線-大井町線-田園都市線を走ることがあるかもしれない。1000系はその後の処遇は不明だが、18m車ということで働き場が少なく、地方鉄道に譲渡される可能性が高い。まことにさびしい限りだ。ただ、池上・多摩川線に行けばまだ3両編成で走る1000系の元気な姿を見ることができる。
乗り入れ当時の初代直通電車
 東急7000系 北千住行き 田園調布 1967年
日本で最初のオールステンレスを採用した車両。
 営団3000系 日吉行き 田園調布 1967年
車体の骨組みは普通鋼のセミステンレス製で、前面の風貌からマッコウクジラの愛称で呼ばれた。

 営団3000系 日吉行き 多摩川橋梁 1970年代

 東急7000系日吉行きと営団3000系北千住行きの顔合わせ 田園調布駅 1970年代
右隅にちょっと見える電車は目蒲線3500形車両。
多摩川橋梁を渡る2代目の直通電車たち

東急1000系 2005.09.19 詳細はこちら

東京メトロ03系 2006.06.23  詳細はこちら
日比谷線の全線開業以来49年間を走り続けてきた直通電車-日比直(ひびちょく)。まもなく終焉のときを迎える。東急電鉄はこの日比直の廃止を副都心線直通の発表の片隅にさりげなく紛れ込ませただけだった。利用者の反発を恐れたのだろうが、ずいぶんな仕打ちである。かくして副都心線との直通開業に沸いているなかで、日比直はひっそりといなくなるのだろう。しかしこれも新しい時代の流れのひとコマとあれば致し方ない。ありがとう!そしてさらば!日比直!!
関連ページ: 鉄道総合ページ「鉄道少年のなれの果て」
西武電車がやってきた-副都心線直通関連
東京の相互直通運転事情