高野山・吉野の旅 2009.11.12~14
高野山といえば、日本の仏教信仰の頂点である。お大師さんは全国いたるところに数え切れないほどあって、どこの縁日もにぎわっている。奥の院御廟には”大師いまだおわします”と信じられ、この高野山には宗派を超えた霊場として1200年以上たったいまでも参詣する人々が絶えない。

一方、吉野の山は山岳仏教発祥の地である。修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が671年に開創した金峯山寺(きんぷせんじ)がいまも修験道の根本道場として守られている。

そんな日本の文化と伝統のふるさとであるふたつの山を深まる秋に訪ねた。
前日まで全国的な大雨で心配したが、弘法大師および役行者の霊験と、われらの日ごろの行いが天に届いたのか、行く先々で雨は止み、とうとう用意していった雨具を使うことはなかった。
高野山
高野山は弘法大師空海によって平安時代初期の弘仁7年(816)に開創された、真言密教の根本道場である。爾来1200年有余にわたってその霊場であり続けてきた。弘法大師という諡号(しごう;おくり名)は承和2年(835)の空海入定後85年たった延喜21年(921)に朝廷より贈られたものである。この”大師”は高僧に対して贈られる称号で、死後に贈られる場合が多い。歴史上最初の大師は最澄の伝教大師で、これを含めて27名に贈られたといわれる。しかし、一般に大師といえば弘法大師のことをさし、空海を知らなくてもお大師さんは知られているほど普遍のものとなっている。
その弘法大師はここ高野山の奥の院御廟内で永遠の禅定(瞑想して座禅すること)にあると信じられているのである。
高野山は2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録された。登録地区は、大門、壇上伽藍、金剛峯寺、奥の院、金剛三昧院、徳川家霊台の各地区だが山内は非常に広い。そのためにバスの便が図られているので、歩いて見て回るもよし、疲れたらバスに乗るもよし、自由に行動できるのがいい。この地は標高800メートルの深山だが1200年もの昔にこのような大伽藍が造られたことには本当に驚く。それにいまのように電車とケーブルカーでピューッと簡単に登ってくるのとは違い、昔の人々はふもとから延々と続く険しい山道を登って参詣していたのである。先人の偉業と人々の信仰の力をまざまざと見せつけられる思いである。
高野山ではいまでも1200年来の行が変わることなしに営まれている。そしてきょうも山内を巡拝する修行僧たちの列が続いていた。
大門
一山の総門
山岳宗教の結界の象徴
宝永2年(1705)の再建という。
壇上伽藍
壇上伽藍は、高野山開創のときに空海が堂宇を造った地で高野山真言密教の中核となる場所である。現在ここには金堂、御影堂、根本大塔、不動堂など15の堂や塔が建ち並んでいるが、その多くは江戸時代から昭和時代の再建である。そのうち鎌倉時代の不動堂は国宝となっている。
根本大塔
高さ48.5mの高野山を代表する建造物。内陣には胎蔵界大日如来を本尊として金剛界四仏(阿閦(あしゅく)、宝生(ほうしょう)、阿弥陀、釈迦)がともに安置されるという異例の配置となっているが、根本的には両者はひとつという空海の思想を反映したものという。
この大塔は建立以来落雷などでたびたび焼失・再建をくりかえし、現在の建物は鉄筋コンクリート建てで1937年(昭和12年)に完成した。外装は木造仕上げになっているという。
金堂
空海が壇上伽藍のうちでもっとも早く建てたものだが、やはり焼失・再建を繰り返し、現在の金堂は6度目の再建で、1932年(昭和7年)に竣工した。鉄筋コンクリート構造で、木造仕上げとなっている。
本尊の薬師如来(秘仏)は昭和元年の火災で焼失してしまい、現在は高村光雲作の薬師如来像が安置されているが秘仏として非公開である。

不動堂
鎌倉時代の建物で国宝。
本尊の不動明王座像は平安時代の作で重要文化財指定されているが、現在は近くの霊宝館に収蔵されているという。
金剛峯寺

金剛峯寺山門
金剛峯寺主殿
高野山真言宗総本山で、全国3600におよぶ末寺の宗務を執り行う。
もともと金剛峯寺の名は高野山一山の総称であったが、豊臣秀吉の建てた青厳寺が明治初年に金剛峯寺と改められた。

奥の院

奥の院正門 
奥の院御廟は約1km先にある。右の石柱に書かれた「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」は弘法大師への崇敬を唱えることば。
奥の院は20万基を超える墓や供養塔が並び、世界最大の墓地と言われる。
これは、弘法大師の足元に眠ることによって極楽往生できるという信仰による。このため古来より戦国武将などの歴史上の人物がこの地に名を連ねているが、これは一般大衆も同じで全国各地からここに墓を求める人々が今でも絶えないという。

御廟橋 このさき撮影禁止地区
つきあたりが燈籠堂でその裏に御廟がある。

うっそうとした杉木立ちの道の両側には墓や供養塔が建ち並ぶ。

豊臣家墓所

伊達政宗墓所
宿坊

宿舎の本覚院
高野山には世界遺産登録後に年間120万人の人たちが訪れるようになり、そのために52ヵ寺が宿坊を営んでいるという。いずれも由緒あるお寺で立派な庭園などをもち、精進料理や朝の勤行に参加できるなど、われわれ俗世界の人間にとって非日常的な体験ができる。
ここ本覚院では勤行のあと、96歳になるご住職の説法を拝聴した。
本覚院庭園の一部→
高野の秋

秋色のなかにひっそりと建つ古い社-大門近く

静けさただよう参道を行く-壇上伽藍から金剛峯寺へ向かう途中
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