東大寺は、奈良時代中期に聖武天皇の発願による大和の国分寺として創建されたが、のちに諸国の国分寺をとりまとめる総国分寺として位置づけられた。本尊は盧舎那(るしゃな)大仏とされたために、大規模な伽藍が造営された。天下泰平・万民豊楽を祈願する道場と教理研究所を兼ねる寺で、多くの学僧を輩出した。開山は良弁(ろうべん)僧正で、現在は華厳宗大本山となっている。 本尊の盧舎那仏は毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)とも呼ばれ、華厳経の教主とされるが、この名は釈迦如来の別名で、世界を照らす仏・光り輝く仏の意味とされる。像は青銅で鋳造され渡金が施されていて金色に輝いていたといわれる。天平勝宝4年(752)に開眼供養が行われたが、その後たびたび損傷を蒙り、そのつど修理されてきていて、両手は桃山時代、頭部は江戸時代のものである。大仏殿は創建以来、治承4年(1180)と永禄10年(1567)に兵火に遭い、今の建物は江戸時代に建てなおされた3代目である。建物の横幅が三分の二に縮小されたが、それでも木造建造物として世界一の規模を誇る。(東大寺パンフレットから) |
|||
|
|||
東大寺はとにかくスケールが大きい。南大門は日本一だし、大仏殿も世界一、大仏さんも日本一である。これらの大きな伽藍が建つ敷地も広大である。興福寺もそうだが、奈良公園と一体化していて歩いているうちに自然とお寺にはいって行くことになる。大仏殿の後方には多くのお堂が点在する。お水取りが行われる二月堂はその一番奥の高台にある。今回そのお水取りの行の「おたいまつ」を見物するために奈良を訪れたのだが、小雨が降ったり止んだりのあいにくの天気だった。それでも大仏殿は多くの参詣客でにぎわっていた。やはり人気も日本一なのだ。(2006.03.10) | |||
|
|||