明顕山祐天寺

明顕山祐天寺は、享保3年(1718)に天寿を全うした浄土宗増上寺第36世「祐天上人」の遺命により、開山した。
祐天上人は正徳4年(1714)に増上寺を退いたあと、名号の書写と念仏の毎日を送っていたが、享保3年7月15日弟子の祐海上人に「一寺を創営し、長時の念仏を修し、未来の衆生済度のために準備せよ」と遺言し旅立った。遺命を受けた祐海上人が、折からの新寺建立禁止の世情のなか、時の八代将軍吉宗公の許可を得て、もともとこの地(目黒区中目黒)の善久院という寺に改めて「祐天寺」の名を付し、開創されたのである。
祐天上人は、5代将軍綱吉、桂昌院、6代将軍家宣など将軍家や東山天皇の女院の帰依を受けるほか、救いを求める庶民からの請いに応じて名号を授けるなど、その功徳が江戸をはじめ、日本中に広まっていったという。(祐天寺縁起)

名号(みょうごう)とは、仏・菩薩の名。これを聞いたり唱えたりすることに功徳があるとされる。特に、「阿弥陀仏」の四字、「南無阿弥陀仏」の六字をさす
女院(にょいん)とは、三后(さんごう)・准母(じゆんぼ)・女御(にようご)・内親王などで、朝廷から特に「院」または「門院」の称号を受けた女性。

祐天寺は東横線祐天寺駅から徒歩7分の駒沢通りに面したところにある。駅からは駅前通りを歩くが、参道という雰囲気ではなく普通の商店街である。表門をはいると正面に仁王門があり、そのさきに本堂がまっすぐ見通せる。お堂の配置も江戸名所図会に描かれている時代とあまり変わっていないようだ。
昭和7年に東京市の合併を記念して投票により選定された「新東京八名勝」で、目黒祐天寺は6位に選ばれたという。表門の横にその石碑が建っている。ちなみに、第1位は池上本門寺、2位西新井大師、3位品川神社、4位日暮里諏訪神社、5位赤塚松月院、7位洗足池、8位亀戸天神となっている。(2005.02.04)

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表門

地蔵堂

仁王門

鐘楼

阿弥陀堂

本堂

仏舎利殿

五社稲荷