広く「九品仏(くほんぶつ)」で知られるこの寺は、正式には「九品山唯在念仏院淨眞寺(くほんざんゆいざいねんぶついんじょうしんじ)と称し、浄土宗に属する。開山は、江戸時代初期の高僧「珂碩(かせき)上人」で、延宝6年(1678)に奥沢城跡であったこの地(世田谷区奥沢)に、浄土宗の経典である「観無量寿経」の教えに従って堂塔を配置し、この寺が創建された。当時の堂塔の配置は現在とほとんど変わっていないといわれるが、山門、本堂の屋根は昭和40年に萱葺きを銅板葺きに改修されている。 その配置の特徴は西向きの本堂に相対して3棟の阿弥陀堂が並んで建っていることである。この阿弥陀堂は、中央を上品(じょうぼん)堂、左を下品(げぼん)堂、右を中品(ちゅうぼん)堂と称し、堂内にはそれぞれ3体ずつ、全部で9体の阿弥陀如来坐像(都有形文化財)が安置されている。これらの仏像は本堂の釈迦如来像とともに開山珂碩上人がみずから彫り上げたものという。 9体の阿弥陀像は上品堂、中品堂、下品堂内のそれぞれの中央(上生(じょうしょう))、右(中生(ちゅうしょう))、左(下生(げしょう))に安置され、この組み合わせで「上品上生」から「下品下生」までの9種類(九品という)に分かれ、総称して「九品仏(九躰阿弥陀仏)という。現在、九躰阿弥陀仏は京都の浄瑠璃寺と当山のみで、きわめて貴重なものとされる。(参考)JTB「江戸東京の古寺を歩く」ほか この寺には3年ごとに行われる「お面かぶり」といわれる独特の行事がある。正式には「二十五菩薩来迎会(らいごうえ)」というが、これは「来迎」すなわち人の臨終に際して阿弥陀如来が極楽浄土から迎えに来る、という浄土宗の教えを劇化したもので、境内で行われる大掛かりな行事である。 いまから9年前(平成8年)の8月16日に、ここ九品仏に「お面かぶり」の行事を見にきた。そのときは、大勢の人でにぎわっていたが、今回久しぶり(2005.02.02)に訪れて実に落ち着いた静かなお寺であることがわかった。とくに三棟の阿弥陀堂が並んでいるさまは他のどこにもない独特の雰囲気がある。ことし平成17年(2005)の夏にはまた「お面かぶり」が行われる。また出かけてみたいと思う。 |
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