宇宙から世界の国際空港巡り                
空港は滑走路、誘導路、ターミナルビル、駐車場、道路などで構成される。地上にいただけではわからないが、上空から見るとそれぞれの空港によって様々な形をしていて非常に興味深い。地上に広がる幾何学模様は実に美しく面白い。こうして見ると空港というものがいかに大きい建造物であるかがわかる。こんな大きなものを寸分たがわず作る人間の力に改めて驚く。しかし、いまみたいに技術も何もないときに、あのナスカの地上絵を描いた人間はもっとすごい。宇宙人という説もあるが・・・

現在、衛星による地上の写真が公開されているので容易にその姿を見ることができる。Google Earthで世界の空港に行ってみた。(空港の選び方はまったくの独断で、旅客数ランキング上位空港や、行ったことのある空港を中心としています。

ところどころ、その空港と都市にまつわるエピソードも・・・
(2007.10.07)
アジア
オーストラリア
東京(羽田) 東京(成田) 大阪
名古屋 北京 香港
シドニー    
アメリカ合衆国
カナダ
アトランタ オースチン ボストン
シカゴ ダラス ホノルル
ヒューストン ラスベガス ロサンゼルス
メンフィス ニューアーク ニューヨーク
ポートランド サンディエゴ サンフランシスコ
バンクーバー ワシントンDC  
ヨ−ロッパ アムステルダム フランクフルト ロンドン
パリ    

■アムステルダム(オランダ) 「スキポール国際空港」(AMS)

世界旅客数ランキング(2006)第12位。

オランダの多くの土地がそうなのだろうが、この空港は海面よりも低いそうだ。アムステルダムの市内には運河が網の目のように通っている。ゴッホの絵にみるようなハネ橋がところどころにかかっている。運河には船が往来しているが、そのたびにハネ橋を上げるのである。なかには川幅いっぱいの大きな船も通る。実際に大型船が通過していくのを見たが、両岸に擦るのではないかと心配するくらい、すれすれですり抜けていった。運河の水位は高く、ところによっては岸辺にヒタヒタ水がきている。なんとなく手を浸けてみたくなるが、きれいな水ではないのでやめる。町なかでは運河に沿ってクルマが駐車しているところが多いが、ときどきクルマが運河に落ちるそうである。【写真】


■アトランタ(米国ジョージア州) 「ハーツフィールド国際空港」(ATL)

世界旅客数ランキング(2006)で第1位を誇る。広さも世界一。デルタ航空のハブ空港。
ターミナルビルが6列に並び地下を走る鉄道で結ばれている独特の構造。各ターミナルビルも長さが1500mほどある、とてつもない巨大空港。

アトランタといえば映画「風と共に去りぬ」の舞台となった町だが、いまは高層ビルが林立する近代都市である。やはりというか、なんとなく黒人の人たちが目につく。アメリカ南部を代表する都市のカラーだろう。郊外に出ると妙に土の色が赤い。鉄分を含んでいるのかどうかわからないが、とにかく不思議なくらい赤い。ハワイのオアフ島にもこのような赤い土の畑があったが、なにか共通するのだろうか。
【写真】


■オースチン(米国テキサス州) 「バーグストロム国際空港」(AUS)


オースチン市はテキサス州の州都で美しい町。ジャズとステーキの店が軒を並べる地区がある。店の名前は忘れたが、たいへんおいしいステーキを食べた。そのあと、ジャズを聴きに行っていい心もちになって、つい寝込んでしまった。ふと目が覚めると一緒にいた仲間たちがいない。きょろきょろ見まわすと、遠くの席でこっちを見て笑ってやがる。悪いやつらだ。でも、勘定が全部自分持ちにならなくて良かった。
ここオースチンからフリーウェイを飛ばして120kmほど南下すると、【アラモ砦】の史跡などがあるサン・アントニオに着く。途中、地平線のかなたまでまっすぐ延びている幅の広い、片道6車線のフリーウェイには感動した。とにかくテキサスはなんでも大きく、広い。しかしアラモ砦は思ったほどのものではなかった。それよりも12月というのに暑い。みんな真夏の服装で、警官は短パンをはいている。こちらは厳寒のボストンから移動してきたのだが、さすがアメリカは広いと感心した。このフリーウェイ(インターステート35)の途中には大規模なアウトレットがあって、日本でもよく知られているらしい。


■北京(中国) 「首都国際空港」(PEK)

世界旅客数ランキング(2006)第9位。右は北京オリンピックのための第3滑走路工事と思われる。

北京には2000年に来た。空港からホテルまでの道すがら、クルマのなかから風景を見た。やはり人が多いのを感じる。有名な自転車の群れもいた。つぎつぎに通り過ぎるトロリーバスはどれも満員である。クルマも多い。そのなかを三輪自転車のタクシーがすり抜ける。クルマの窓を開けるとすごい喧噪が飛び込んでくる。とにかくダイナミックだ。その当時は古い石塀の中に、これまた古い民家が見え隠れして、いかにも中国という風景があったが、いまはどうなっているだろう。
天安門広場のバカバカしいほどの広さ。まわりをとりまく巨大な政府共産党の建物。天安門のうしろの広大な紫禁城。いろんなもので知ってはいたが、実際に見ると目を見張る。【写真】

万里の長城にも行った。北京市内から高速道路が通じている。八達嶺というところから長城にはいるが、ひとめ見るなり思わず唸ってしまう。とにかく日本では絶対にあり得ない風景だ。スペースシャトルからも見えるというが、もちろんGoogle Earthでも見える。しかし山間部のため画像の解像度を落としているので、尾根を辿る白い線としか確認できない。【写真】

2000年当時、北京空港は新ターミナルができたばかりでピカピカだった。そのターミナルでハプニングがあった。帰国のための手続きをしたあと、搭乗を待っていたところ、一緒に行った同僚のひとりが財布から一万円札を抜きとられたのに気がついたのである。本人によると、混雑しているなかでなにやら話しかけてきた男がいたらしい。そいつは日本円に両替したいが日本の札を見たことがないから見せてほしいと言うので、財布を見せたという。別に渡したわけではなく、そいつは札を見るためにちょっと手をふれたらしい。そのまま行ってしまったが、同僚は自分が両替するのに両替所にいって財布から二万円がなくなっているのに気がついたという。われわれもその現場に居合わせたのだが、全くだれも気がつかなかったのである。それほど巧妙に札を抜き取って行ったのだ。どうも見たところアラブ系ではなかったかと、あとになってみんなで推測したものの後の祭りだった。外国の空港では財布や札をむやみに人目にさらさない、見知らぬ人間と口をきかないほうがいい、という教訓だった。


■ボストン(米国マサチュセッツ州) 「ローガン国際空港」(BOS)

正式名は「ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港」

ボストンはアメリカ合衆国発祥の地で古い街並みが残る反面、新しい街並みも増えて行く。ボストンには何回も来たがそのたびに変化していた。その代りいつでも工事していたがいまはどうなっただろう。文化都市ボストンはMIT(マサチュセッツ工科大学)やハーバード大学といった有名な大学が多く、なかでもMITはサンフランシスコ(正確にはパロ・アルト)のスタンフォード大学とコンピュータ技術において東西を分ける雄である。これらの大学から発信される技術や輩出される人材によってコンピュータ産業がボストンおよびサンフランシスコ(シリコンバレー)を中心に興隆した。ひところは、マサチュセッツ・コンピュータとカリフォルニア・コンピュータの対立という図式にもなった。ボストンとサンフランシスコは港町でもありシーフードのおいしい町である。そんなことも考えると、東西のこの魅力的な二つの都会はよく似かよっていると思うがどうだろう。【写真】


■パリ(フランス) 「シャルル・ド・ゴール国際空港」(CDG)

フランス最大の空港。世界旅客数ランキング(2006)第7位。

ド・ゴール空港は出張先のブリュッセルへの乗り継ぎで通ったことがある。このときは社長のお伴だったが、バッゲージクレームで社長の荷物が見当たらないのである。黄色いカバンで目立つので片っぱしから黄色いカバンを探したら、とんでもないところに置いてあった。何故かはよくわからないがとにかく胸をなでおろしたことだった。


■シカゴ(米国イリノイ州) 「オヘア国際空港」(ORD)

世界旅客数ランキング(2006)第2位。ユナイテッド航空、アメリカン航空のハブ空港。滑走路6本を有する。

シカゴには仕事で来たことがある。実際は郊外の小さな町にある企業に行ったのだが、そこで3日間缶詰になってしまった。シカゴはいろんな映画の舞台になったところである。なかでもジーン・ハックマンの扮するポパイ刑事が麻薬組織を追って大活躍するフレンチ・コネクションはシカゴの町をよく描いているが、そこに出てくるループと呼ばれる高架鉄道は興味深い。ぜひ見たいと思っていたが”缶詰”である。結局シカゴの市内は行けずに、オヘア空港に直行となった。そういえば、この空港のバッゲージクレームで麻薬犬が実際に捜査しているのを目撃した。映画にあるように麻薬事件が多いのだろうか。


■名古屋 「中部国際空港」(NGO)

2006年供用開始。まだ滑走路1本で、2本目の計画はあるが未定。

※画像上にマウスを置くと2017年現在の写真を表示します

■ダラス(米国テキサス州) 「フォートワース国際空港」(DFW)

世界で3番目に広い空港。旅客数ランキング世界第6位。アメリカン航空のハブ空港。


■フランクフルト(ドイツ) 「フランクフルト国際空港」(FRA)

世界旅客数ランキング(2006)第8位。
ドイツ最大の国際空港。ヨーロッパではロンドンのヒースロー、パリのドゴールに次いで3位。


■香港(中国) 「香港国際空港」(HKG)

世界旅客数ランキング(2006)第14位
香港が中国に返還された翌年(1998)に開港した。イギリス統治の終了に合わせるべく工事を開始し、6年の歳月を費やして完成したのは、当時の香港提督の大英断だったという。大きなおみやげを残したといえる。

それ以前の空港は九龍地区から香港島に向かって海上を埋め立てた滑走路1本の【啓徳(カイタック)空港】だった。背後は山と市街地なので、飛行機は海側からいったん市街地の上空まで行き、山の手前で大きく旋回して海側に機種を向けると急降下で市街地すれすれに滑走路に進入するという、曲芸的な飛行を余儀なくされていた。パイロットは大変だっただろうが、乗客もヒヤヒヤもので、急旋回とともに市街地がぐんぐん迫ってくるのは実際怖かった。
現在の空港はこのカイタック空港から40kmほど西になるが、写真で見ても立派な空港である。カイタック空港とは比較にならない。それでも遠くなってしまって利用者はたいへんだろう。

香港は私が初めて外国に行った記念すべきところで、5日間ほど出張で仕事をしに行った。まだ入社して3、4年のころだが、ひとりで行くことになって大緊張の態だった。なにしろ飛行機に乗るのも初めてで、ノースウェスト・オリエントのボーイング707に乗って、ジェット機というものの加速のすごさに仰天した。夜遅くにカイタック空港に着いたが、迎えが来ているかもわからない。なんとかなるだろうと税関を通ったら話しかけてきた若い男がいた。名前は忘れたが香港ブランチの社員だった。英国人と言っていたがタクシーでホテルまで送ってくれた。ホテルに着くと、明朝はオフィスにタクシーで直接来てくれと名刺を渡して帰ってしまった。

翌朝、ホテルの玄関を出ると驚いた。ものすごい数の人間とクルマがひしめいていて轟々たる喧噪である。ゆうべは暗くて静かなときに着いたので気がつかなかったが、ホテル前は繁華街だったのだ。しかしこんなやかましい町は初めてである。とりあえずタクシーを見つけなければならない。それらしいクルマを呼び止めて、ゆうべもらった名刺を見せながら、「Queens Road」と言ったらすぐ走りだした。大丈夫かな?と思いつつ窓から外を眺めていた。で、10分くらい走ると停まって、「ここだ」という。料金を払って降りると、なんだか変である。およそオフィスがあるようなところではない。タクシーは行ってしまった。その辺を歩いてみたがやはり変だ。魚市場みたいなものがある。よく見たらそこは「Kings Road」とある。しまった!と思った。運転手は「Queens」を「Kings」と聞き違えたらしい。こっちの発音が悪くてそう聞こえたのかもしれない。それに名刺を見せたのに英文だったので、英語がわからなかったのかもしれない。

さあ大変だ。とにかく誰かに訊かなければならない。こんなときはパニックになるものだが、不思議なことに自分でも驚くほど冷静だった。広い通りを歩いていたら、なんと運よくおまわりさんがやってきた。短パンをはいているので初めはわからなかったが、たしかにおまわりさんだ。かけよって名刺を見せながら、ここに行きたい、と伝えると、「OK!」といって通りかかったタクシーを止めて中国語で指示してくれた。香港のおまわりさんは親切だった。やっとのことでオフィスにたどりついて、女王様を王様と聞き違えられたことを話すとみんな大笑いだ。こっちとしては笑いごとではない。もし、あのときおまわりさんが現われなかったらどうなっていたか。しょっぱなからミソをつけたが、そのあとも客先に行って慣れない英語で悪戦苦闘をし、やっと日程を消化してヘトヘトになって羽田に着いた時は心底ホッとして、二度と行くもんかと思った。たしかにその後、香港には行く機会がない。


■ホノルル(米国ハワイ州) 「ホノルル国際空港」(HNL)

ハワイの玄関口。この空港の難点はイミグレーション・ゲートで長蛇の列になること。到着便が集中するのが原因であるが、時差ボケも手伝っていらいらする。ハワイ到着の第一印象としては、はなはだよろしくないが、しかし空港を一歩出るとそこには太陽の光がまぶしい南国ハワイがあって、そんなことは吹っ飛んでしまう。そしてなんとなくウキウキしてくるほどハワイは楽しいところだ。

ハワイはオアフ島だけでなく、周辺の島も魅力的だ。火山帯にあるので各島は火山を抱えている。まだ行ったことはないが、ハワイ島は有名なキラウェア、マウナロア、マウナケアなど4000m級の活火山がある。マウイ島にはハレアカラ山がある。この山は休火山だが、ふもとから自動車道がつけられていて標高3000mの頂上までクルマで行ける。オヤジ4人が赤いオープンカーに詰まって登ったが、傍から見たらさぞ珍妙な光景だったろう。おまけに南国の太陽にさらされてエライ目にあった。翌朝は、この頂上から自転車で駆け降りるという無謀なツアーを見るために再び登った。今度はミニバンだったが、早朝の頂上の寒さに震え上がった。【関連ページ】



■ヒューストン(米国テキサス州)「ジョージ・ブッシュ・インター
                        コンチネンタル空港」(IAH)

世界旅客数ランキング(2006)第17位。コンチネンタル航空のハブ空港。

ヒューストンには仕事で地元のコンピュータ会社に行ったことがある。残念ながら町を見物することはできなかったが、テキサスのでかいステーキをごちそうになった。


■ニューヨーク(米国ニューヨーク州) 「ジョン・F・ケネディ国際空港」(JFK)

世界旅客数ランキング(2006)第15位。ラ・ガーディア、ニューアーク・リバティとともにニューヨーク3大国際空港。

初めてニューヨークに来たのは空路でなく陸路だった。ボストンからAmtrak(アムトラック)の特急列車に乗って4時間かけて来たのである。終着のペンシルベニア駅の地下ホームから地上に出ると、そこはマジソン・スクエア・ガーデンだった。いきなりニューヨークのまっただ中に飛び出したのである。見上げるたくさんの摩天楼はまさしくニューヨークで、いたく感激したものだ。空港からクルマで移動するときは街並みなどを見ながら徐々に順化してくるが、ここの鉄道は遠くに摩天楼がちょっと見えたな、と思ったら地下線にはいってしまい、終点までまったくお預けになってしまう。それだけに地上に出た時のニューヨークの町のまぶしさはひとしおだった。エンパイアステート・ビルに上るとニューヨーク360度が見渡せる。いまはなき、WTCのビルも健在だった。【写真】


■大阪 「関西国際空港」(KIX)

写真ではまだ建設中だが、2本目の滑走路(3500m)が2007年完成、供用開始になった。

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■ラスベガス(米国ネバダ州) 「マッカラン国際空港」(LAS)

世界旅客数ランキング(2006)第11位。

空港のすぐ西側には「ザ・ストリップ」と呼ばれる大通り(ラスベガス・ブールバード)が南北に走り、それに沿って多くのカジノやホテルが林立する。ラスベガスには3回ほど来たが、2000年に来た時は昔(1980年代)に比べてずいぶん南に広がって、空港のすぐ近くまでホテルが迫っているのには驚いた。ラスベガス空港に着くとロビーにずらりとスロットマシンが並んでいて、はやくもカジノの雰囲気が押し寄せてくる。リノなどネバダ州のほかの空港でも同じだ。ラスベガスは不夜城の名にふさわしく夜の景観が見ものだ。ホテルやカジノの個性あふれる電光装飾は見ていて飽きない。【写真】
いつぞやTVで紹介されたが、パイロットが推奨する、飛行機から見た世界の夜景のランキングで、ラスベガスは第2位だそうだ。第1位はどこかというと、なんと!それは東京だった。


■ロサンゼルス(米国カリフォルニア州) 「ロサンゼルス国際空港」(LAX)

世界旅客数ランキング(2006)第5位。

アメリカ西海岸への代表的玄関口。ロサンゼルス市の人口は全米第2位で、カリフォルニア州最大の都市である。日本人も多く住み、都心の一角にリトル・トウキョウとよばれる地域がある。年中暖かくて四季がない。

ロサンゼルスにはときどきサン・ディエゴからクルマで来た。インターステート5号をひたすら北上するとびょうぼうとした、大ロサンゼルスの町があらわれる。あまり起伏のない地形でサンフランシスコと対照的だが、とにかく広くて走っても走ってもロサンゼルスがなくならない。サンセット大通りやビバリーヒルズやロングビーチなど有名どころは覚えているが、ほかはどこを走ったか思い出せない。リトル東京で鮨を食べたときに、マグロはボストンから来たと聞いてビックリした。


■ロンドン(英国) 「ヒースロー国際空港」(LHR)

世界旅客数ランキング(2006)第3位。
イギリスのみならずヨーロッパ最大の空港。


■メンフィス(米国テネシー州) 「メンフィス国際空港」(MEM)

ノースウェスト航空のハブ空港で、国際航空貨物便の「FedEx」のハブ空港でもある。そのため、世界貨物取扱量ランキング(2006)第1位。

メンフィスはテネシー州最大の都市で州の南西端にあって、西側はアメリカ最長のミシシッピー川をはさんで対岸はアーカンソー州、南側はミシシッピー州という特異なところに位置する。ここはエルビス・プレスリーの町でもある。仕事がいっぱいで時間がなくてゆっくり見物はできなかったが、それでも随所でプレスリーを感じとれる。


メンフィスを本拠地とする「FedEx」(フェデラルエクスプレス)はメンフィス国際空港をハブ空港としていて、自前の駐機場と滑走路を空港内に持つ。上の写真に見るように、整然と並んだジェット貨物機はすべてFedEx社の所有。全世界で650機を超えるといわれる。この駐機場に隣接した建物では、毎日深夜の数時間に貨物の仕分けと貨物機への積載作業が行われ、その後これらのおびただしい飛行機がつぎつぎに飛び立って、夜間飛行(Overnight flight)で全米及び世界中のハブに貨物輸送する。

驚いたことに、その作業を見学できるツアーが設定されている。幸い参加する機会があったので深夜にもかかわらず見に行った。午前0時頃に数百人の作業員たちが一斉に仕分け作業にかかる。全米や海外から集まった荷物は、ベルトコンベアでつながれた仕分け機と人海戦術によって恐ろしいスピードで仕分けされていく。そして午前3時ごろ、すべての作業が終ると作業員たちは一斉に引き上げて帰宅する。空港の滑走路からはつぎつぎに飛行機が飛び立つ。とにかく、そのシステムとスケールに圧倒されてホテルに帰ってきたが珍しい体験だった。


■ニューアーク(米国ニュージャージー州) 
               「ニューアーク・リバティー国際空港」(EWR)

世界旅客数ランキング(2006)第19位
ニューヨーク市への玄関のひとつ。コンチネンタル航空のハブ空港。
ボストンへの乗り継ぎで通ることはあったが空港外に出たことはない。


■ポートランド(米国オレゴン州) 「ポートランド国際空港」(PDX)


ポートランド市の近くにオレゴン州最高峰のマウント・フッドという山がある。標高は3370mくらいで富士山より少し低いが、この山がポートランドの市内から良く見えるという。出張で来ることになって楽しみにしていたが、天気が悪くて見えなかった。3ヶ月後に再び来た時もまた見えなかった。まことに残念だったが、飛行機からはその雄姿を見ることができた。しかし、山は上空からよりも地上から見たほうがいい。【写真】


■サンディエゴ(米国カリフォルニア州) 「サンディエゴ国際空港」(SAN)


サンディエゴ市はカリフォルニア州第3の都市でアメリカ海軍第3艦隊の基地がある。また、カリフォルニア州最古の都市でもある。メキシコとの国境も近く、町にはスペイン風の建物なども多く見かける。治安もよく、町全体がきれいなところである。気候も良いため、リタイヤした人たちが移り住みたい町という。

サンディエゴは私にとって初めて来たアメリカである。ロサンゼルスで通関して乗り継いだので本当はロサンゼルスが最初の寄港地だが、実質は最終地のサンディエゴが初めてのアメリカとなる。そのロサンゼルスでの乗り継ぎが大変だった。東京(当時は羽田)からのJAL便が遅れて乗り換え時間があまりない。教えられた通りに国内線ターミナルに急ぐが、なにしろ何でも初めてで、勝手がわからない。あっちへウロウロ、こっちへウロウロするがなかなか目指す16番ゲートが見つからない。気は焦るがちょっと冷静になって搭乗券を見直すと、チェックインのときに係員が書いてくれたゲート番号が14と読めた。さっきは16と読んでいた。14を16とばかり思って探し回っていたのだ。果たして14番ゲートはあった。手書きでちょっと乱暴に書くと4と6は似ていることがあるがそれだったのだ。やっとたどりついた飛行機の座席に座って、やれやれ良かったと出されたジュースを飲んでいたら、こんどはさっき預けた荷物のことが心配になってきた。こればかりは自分でどうしようもない。腹をくくって窓から初めてのアメリカの大地を眺めることにした。

サンディエゴ空港に無事到着してバッゲージクレームに行くと案の定、カバンが出てこない。空港には一足先にサンディエゴに来ていた同僚たちと現地のアメリカ人社員が迎えに来てくれていた。すぐに荷物を問い合わせてくれた。載せるのが遅かったのでつぎの便でくるという。結局みんなを1時間近く待たせてようやくアメリカの大地を踏むことができた。そのあと3ヶ月間サンディエゴに滞在して仕事をし、アメリカを楽しんだ。もう30年以上も昔のことである。10年くらい前に再びサンディエゴを訪れた。町は大きく変貌していたが空港はあまり変わっていなかった。【写真】




■サンフランシスコ(米国カリフォルニア州) 「サンフランシスコ国際空港」(SFO)

世界旅客数ランキング(2006)第26位。

サンフランシスコはロサンゼルスに次ぐカリフォルニア州第2の都市。港町、坂の町、霧の町などと言われ、詩情あふれる都会だが、その南には最先端技術のメッカである、シリコンバレーがある。市内はそれこそ名所だらけで見て回るのは大変だが、サンフランシスコを一望できるのがツインピ−クス(Twin Peaks)という小高い丘で、金門橋やベイブリッジをはじめ、対岸のオークランドやサンフランシスコ特有の白っぽい建物の多い坂だらけの街並みの眺望が楽しめる。【写真】

サンフランシスコ空港では飛行機の出発を待たせてしまったことがあった。休日を利用して4人で【グランドキャニオン】を楽しんだ帰りに、サンフランシスコでサンディエゴ行きに乗り換えることになっていた。ところが、サンフランシスコ到着が遅れてお定まりの事態になってしまった。もう数分しかない。広いターミナルビルのなかをとにかく走りに走ってたどり着いたら、スタッフの人たちが走り寄ってきて急げという。飛行機にはいるとなんとなく冷たい視線を浴びながら席に着いたが、仕方がないとはいえ申し訳ない気持ちで、サンディエゴに着くまでの1時間はまことに肩身が狭かった。


■シドニー(オーストラリア) 「キングスフォード・スミス国際空港」(SYD)

シドニーはオーストラリアで最大かつ最古の都市。ニュー・サウスウェールズ州の州都でもある。


■東京 「東京国際空港」通称「羽田空港」(HND)

世界旅客数ランキング(2006)第4位。

日本最大の空港だが、2007年現在さらに拡張工事が進められていて、2010年ごろには4本目となる「D滑走路」や国際線ターミナルが完成する予定。本格的な国際線復活へ着実に歩んでいる。

関連ページ 【”HANEDA 2007”】 【”羽田空港展望デッキ”】
【”羽田空港旧B滑走路”】 【羽田空港新B滑走路着陸機】
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■東京 「成田国際空港」 通称「成田空港」(NRT)

世界旅客数ランキング(2006)第23位。

国際線専用空港として開港(1978年)以来30年になるが、未だに2本目の滑走路が2180mの暫定的なものにとどまる。上空からみても明らかに見劣りがする。いまどき24時間使えない空港など世界の時流に大きく取り残されて国益を損なっている。いつまでこのような状態が続くのだろうか。こんなバカなことを放置している責任はだれにあるのか。
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関連ページ:【”成田空港展望デッキ”】


■バンクーバー(カナダ・ブリティッシュコロンビア州) 
                「バンクーバー国際空港」(YVR)


バンクーバーはカナダのブリティッシュ・コロンビア州の最大都市。海峡をはさんでバンクーバー島があり、そこには州都であるビクトリア市がある。両都市間はフェリーで連絡しているが、レンタカーを借りてバンクーバーからビクトリアまで行ったことがある。両市ともきわめて美しい町で、ちょうど秋だったこともあってカエデの紅葉が見事だった。

バンクーバー空港からはハワイに行くことになっていた。ところが、なんと空港従業員がストライキをやっていて便が急にキャンセルになってしまい、もう一晩バンクーバーに泊まる羽目になった。航空会社が用意したホテルに泊まって、翌朝の早い便でハワイに向かったが、2泊の予定が1泊になってしまってえらく損した気分になったことを思い出す。


■ワシントン(米国コロムビア特別区) 「ダレス国際空港」(IAT)


この空港は日本からボストンに行くときの乗り継ぎで通っただけで降りたことはない。乗り継ぎはほかにニューヨークやニューアークのこともある。ボストンまでは1時間くらいの飛行だが、とくに普通のエアラインと指定しないとコミュータ航空に乗せられてしまう。コミュータとは地方空港間を定員50人くらいの小型飛行機で結ぶエアラインで、ボストン行きはこのコミュータが多く飛んでいるようだ。なにしろ飛行機は小さいのでそれだけでもなんとなく不安になる。だいたいが4発か双発【ターボプロップ機】が多い。ジェット機と違って加速も悪く、滑走路を延々と走って滑走路が終わりそうになってやっと飛び上がるというシロモノなのだ。あまり飛び上がらないのでこのままボストンまで走るのかと思うくらいなのである。そのかわり比較的低空を飛ぶので窓から見下ろす景色はいい。

この小さい飛行機ならではのエピソードがある。ワシントンで乗り継いだときのことだが、搭乗する段になって問題が起きた。この手の飛行機は簡単なハシゴで地面から直接乗り込むのだが、どういうわけか前のほうで滞っている。見るとなんと巨大なご婦人がそのハシゴの前で立ち往生している。どうも自分の足だけではハシゴを登れないらしい。スタッフが飛んできて手伝い、やっと機内に押し込んだ。それを見てちょっと不安になったことはいうまでもない。自分の番がきて乗り込むと件のご婦人は二人分の席を占領していた。なにか落ち込んだ様子で座っていた。それでも飛行機は無事に離陸したが、見回すといくつか空席がある。重量バランスを考えたのかもしれない。
別の飛行機での話だが、このような小型機はパイロットがひとりで操縦する。操縦席は狭い。ふつう飛行中は操縦席の扉は閉めることに決まっている。ハイジャックその他の不祥事を防止するためである。ところがそのときの飛行では扉が開いたままになっている。開いた入口からは操縦士の大きな背中が見える。良く見るとその操縦士はあまりの巨漢のため、扉が閉められないのである。それどころか背中が入口からはみ出していた。嘘のような本当の話だが、いかにもアメリカらしい光景に唖然とした。

写真はGoogle Earthから。方角は上が北。
旅客数ランキングの出典:国際空港評議会(Airports Council International)「ACI Worldwide Traffic Report」
航空関連サイト 羽田空港旧B滑走路
HANEDA2007
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